2015年02月03日 15:00 〜 16:30 宴会場(9階)
明石康 元国連事務次長 「戦後70年 語る・問う」

会見メモ

元国連事務次長の明石康さんが「変貌する国際社会と日本の役割」をテーマに話し、記者の質問に答えた。
司会 中井良則 日本記者クラブ専務理事


会見リポート

国際人の見た70年 日本、アジア、世界…

伊奈 久喜 (日本経済新聞特別編集委員)

玉音放送を旧制中学3年生で聴いた少年は、12年後の1957年2月11日、ニューヨークの国連ビル35階の小さな部屋で、イーストリバーを見下ろしながら仕事を始めた。日本の国連加盟は、その2カ月前の56年12月18日である。

 

明石さんは日本人初の国連職員であり、事務次長にまで昇進した。戦後日本の国際人の草分けが70年を語ってくれた。国連から日本を眺めてきた人ならではの切り口がいくつもあった。

 

50年代の朝鮮戦争、60年代のベトナム戦争が日本にもたらした特需は「欧州にとってのマーシャルプラン」のようなものであり、64年東京、88年ソウル、2008年北京と70年間に3回アジアで開かれたオリンピックは「新興国の成人式」だった。日本では必ずしも評判の良くない国連常任理事国の拒否権は、大国を脱退、追放させないための「安全弁」だという。

 

現実主義に立ち、憲法9条2項は「内向き平和主義」であり「集団的自衛権は自然権」だが、靖国、歴史問題には「抑制的な態度が必要」と語った。国際的物差しで見れば、そんなところなのだろう。会場には同世代の会員が目立った。


ゲスト / Guest

  • 明石康 / Yasushi Akashi

    日本 / Japan

    元国連事務次長 / former Under Secretary General of the United Nations

研究テーマ:戦後70年 語る・問う

研究会回数:11

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