2014年11月19日 13:30 〜 15:00 10階ホール
小峰隆夫 元経済企画庁調査局長 「戦後70年 語る・問う」6

会見メモ

元経済企画庁調査局長の小峰隆夫さんが、「官庁エコノミストが見た戦後経済」というテーマで話し質問に答えた。

司会 実哲也 日本記者クラブ企画委員(日本経済新聞論説副委員長)


会見リポート

官庁エコノミストが語る日本経済

川北 隆雄 (東京新聞出身)

旧経済企画庁(現・内閣府)で内国調査第1課長として、「白書の中の白書」といわれた経済白書(現・経済財政白書)を2度執筆し、調査局長も務めた。「官庁エコノミスト」の王道を歩んだといえよう。語ったのは、入庁した1969年以降の日本経済の生きた歴史である。


まず面白かったのは、入庁直後の71年の経済白書の経緯である。本人にとっては、面白いどころではなく、「悲劇」ということになるのだが……。経企庁内では、1㌦=360円の円の固定為替相場が安過ぎるという問題意識を持っていたものの、輸出立国を事実上の「国是」としていた当時は、輸出減につながる円切り上げを論議することはタブーで、白書ではその問題を論じなかった。ところが、白書の翌月、ニクソン・ショックでこのレートはなくなり、世間からは「なぜ、白書は論じなかったのか」と批判され、当時の担当課長はポストを退いたという。「つくづく、経済論議にタブーはいけないと思う」と悔やむ。


いま1つは、バブル崩壊後の金融業界の不良債権問題だ。このころは課長で、課の若手が同問題について論文を発表したところ、旧大蔵省銀行局銀行課のスタッフが「課長を出せ」と極めて乱暴で失礼な調子で電話をかけてきた。電話に出ると、「株価が下がったら、お前は責任を取るのか」と強くなじられた。「有力実業官庁」である大蔵省が、調整官庁である経企庁に対して圧力をかけた1例だ。ただ、「この問題はそんなに重要なことだったんだ」と知らされた側面もあったという。


では、官庁エコノミストの役割とは? 「(縦割りの官庁では)それぞれの論理が染み込むので、中立的な立場で計算できる人が必要だ」。しかし、経企庁が内閣府に再編され、官庁エコノミストとしてやっていこうという人があまり入ってこなくなったのが残念だという。


ゲスト / Guest

  • 小峰隆夫 / Takao Komine

    日本 / Japan

    元経済企画庁調査局長 / Takao Komine, Former Director-general, Economic Planning Agency

研究テーマ:戦後70年 語る・問う

研究会回数:6

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