2013年06月06日 16:00 〜 17:00 宴会場(9階・連結)
三浦雄一郎さん 記者会見

会見メモ

史上最高齢の80歳7カ月でエベレストに登頂した、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんと同行した次男の豪太さんが会見し、成功までの工程を振り返った。時間がかかっても事故なく帰ることを至上命令にした。登ったときよりも、無事に生きて帰れたことのほうが感慨深い、と。これに呼応するかのように、豪太さんも、「(父が)頂上に立ったときよりも、降り切った姿の方が印象深い」、と語った。

司会 露木茂 日本記者クラブ企画委員

MIURAエベレスト2013 オフィシャルサイト

http://miura-everest2013.com/


会見リポート

80歳 今なお獲物射抜く眼

工藤 憲雄 (日本経済新聞編集委員)

首相官邸で「三浦雄一郎記念日本冒険家大賞」創設の意向を安倍総理から伝えられ、その足で三浦雄一郎さんは、次男の豪太さんと会見に臨んだ。

もとより浮かれた様子もない。人類の一人として、冒険の遺伝子の発露で、隣の山を越えた先に何があるか、確かめなければ気が済まない。三浦さんは、もしそうした探求心がなかったら人類は、1カ所にとどまって、病気や災害でとっくに滅びていただろうと、常日ごろから力説する人である。

80歳での、世界最高峰への挑戦。5歳刻みに挑み続けて3度目だが、今回が年齢的にも一番、命の危機に瀕したのは言うまでもない。「80歳を超えてエベレストを目指す物好きがいるというので、あのアルジャジーラが僕の特集を組みたいと取材に来た」。頂上で写真撮影などに要した時間が50分。酸素マスクを外し、頂上から見える山々を背景に「本人確認」に時間を費やした。疑惑の登頂で、最高齢を詐称しようという不届き者がいるからである。それにしても長く写真を撮り続けた。

地上の3分の1の酸素のデスゾーンのダメージが下山で危機を誘う。膝から崩れ落ちる。足元に2日前に亡くなった人の遺体が横たわっている。「下手するとこういうことになる」。生きるか死ぬか、究極の状況に追い込まれた。テントに倒れ込む。そこからもう一度立ち上がって絶壁を下りきった力。「絶対に生きて帰る」。その生命力に圧倒される。

アンチエイジングの研究で博士号を取得した豪太さんの「実験動物」だと言いながら、喜々として新たな夢の実現に向かう。白髪になったが、フラッシュを浴びて光る眼は、1970年にエベレスト8000㍍から命懸けのスキー滑降を挑んだ37歳の頃の獲物を射抜く眼と同じだった。


ゲスト / Guest

  • 三浦雄一郎 / Yuichiro Miura

    日本 / Japan

    プロスキーヤー / Pro-skier

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