2012年06月07日 14:00 〜 15:30 宴会場(9階)
バイオリニスト 黒沼ユリ子さんを囲む会

会見メモ

メキシコ在住の国際的バイオリニスト、黒沼ユリ子さんが会見し、記者の質問に答えた。


司会 中井良則 日本記者クラブ専務理事


アカデミア・ユリコ・クロヌマのページ

http://www.ayk.com.mx/?lang=en


会見リポート

世界大変化 アカデミア幕引きを決断

浅井 泰範 (朝日新聞出身)

黒沼ユリ子さんを、単に「バイオリニスト」と呼ぶことに、私は、ずっと違和感を覚えていた。


16歳で、日本音楽コンクール第1位・特賞。高校卒業後すぐ、チェコに留学。そこで知り合った人類学者と結婚して夫の祖国メキシコに移住。1980年、首都に非営利の『アカデミア・ユリコ・クロヌマ』を開いた。子どもたちのための寺子屋。使用後眠っていた子どもサイズの楽器を日本から集めて教える黒沼さんと仲間の熱意で、一時は120人いた生徒が、この20年間、次第に減り、今年ついに20人を切った。


「迷いに迷って、幕引きを決断しました。世の中、ガラッと変わりました」。黒沼さんは、原因を解説した。ソ連崩壊(1991年)以降、社会主義圏が資本主義圏に傾斜した。世界中で「ハゲタカ」が乱舞し、「ネット」が浸透した。メキシコでも、貧富の格差は広がり、治安も悪化した。子どもたちは、バイオリンよりパソコンに時間と関心を注ぐ。競って職を探す外来音楽家を家庭教師に選ぶ親が増えた。非行防止を掲げて、政府も無料音楽教育を始めた。


黒沼さんは、めげずに話し続けた。アカデミアの32年、巣立った教え子は数えきれない。国際的に活躍するソリストも出た。訪日公演も、日本にメキシコの音楽を紹介する「メキシコ音楽祭」も実現した。東日本大震災には、アカデミアゆかりの約200人が各地から手弁当で駈けつけて、延々9時間、「日本支援募金コンサート」を開いた。大きな会場が最後まで満員だった。


そしていま、72歳。今回の来日は、春の叙勲の伝達式。チェコとメキシコからは、すでに受勲している。黒沼さんは、予定時間を超えたこの会を、メキシコの諺で締めた。


『悪いことは、良いことのためにしか、やってこない』



ゲスト / Guest

  • 黒沼ユリ子 / Yuriko Kuronuma

    バイオリニスト / Violinist

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