2011年10月31日 17:00 〜 20:10 10階ホール
ドキュメンタリー上映会

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会見リポート

チェルノブイリ・ハート


●低線量地の子どもたちが背負ったものは


福島原発事故をかかえる私たちにとって、不気味な映画である。


チェルノブイリから80キロ離れたベラルーシのゴメリ市で、健常な子どもの出産率は15~20%なのだという。


タイトルの「チェルノブイリ・ハート」というのは、原発事故の放射線による先天性異常で、隔壁欠損などがある心臓のことだ。


ターニャは14歳の女の子で、原発事故後に生まれた。2か所に欠損がある。国際NGOの医師がその手術を担当した。カメラは手術室に入り込み、手術中の医師と話す。


「ほら、ここに穴があいている。ここにパッチを貼るんだ。ゴアテックスの」


パッチは1枚が300ドル。ベラルーシの医師の月収の3倍だ。米国では医師が話しながらでもできる手術である。しかしここでは、多くの子どもがそのまま死んでいく。


首都ミンスクの精神病院が映し出される。見たこともない症状の肢体不自由児が寝かされている。


脳が頭骨からはみ出してしまった子。内臓が背中の外にある子。下肢のない子……。原発事故以来、肢体不自由児の出生率は25倍に上がっているという。


ゴメリ市の遺棄乳児院。奇形で生まれ、親に捨てられた子を引き取る乳児院だ。原発事故まではなかった施設である。そこがいっぱいになっている。


問題は、ゴメリが原発から遠く、放射線量がそれほど高くないことだ。そのため人々は住み続け、低い放射線を継続して浴びた。その結果がこの映画にある。


福島の5年後、10年後はどうなるのだろうか。重荷を負うのは子どもたちなのだ。 


朝日新聞出身 松本 仁一


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アンダー・コントロール


●徹底して映し出す原発の「現場」


カメラはドイツ各地の原子力発電所や関連施設の内部をひたすら追って行く。会議や施設の点検など日常的光景に始まり、原子炉の緊急停止の瞬間、研究炉の燃料棒の入れ替え、作業員の放射線防護策などあらゆる「現場」を粛々と撮り続ける。「現場」に従事する人々の様々な声も拾っていくが、第三者的な解説はない。


ドイツの深い森に白煙を噴き上げるコンクリートの太い円柱が出現する。高さ150メートルもの冷却塔だ。日本の原発にはないらしいが、そう言えば欧州駐在時にフランスをドライブして、妙に威圧的な建造物が目に留まったのもこれだったのか。巨大な使用済み核燃料プールや、無数のランプが点滅し、警報音が鳴る制御室の映像は内部見学の臨場感だ。


登場人物が特に「脱原発」を説くことはない。監督も言葉は抑えて、とことん「現場」を見せることに徹する手法を選んだようだ。映画自体は3・11の前に作られているが、ドイツが既に乗っていた「脱原発」の流れを反映し、後半では解体作業が延々と続く旧原発の廃墟や「認可され、却下された」使わずじまいの高速増殖炉施設の転用後のまさかの姿(写真)も出てくる。


筆者は極端な文系人間で、原子力にも全くの素人だ。映し出される原子力施設の巨大さや、専門用語の過剰さなどに気押されるが、どうも最先端のハイテクの集積という印象は受けない。近代の産物には違いないが、SF映画と言うよりも、直感的に子どもの頃に観たウルトラマン・シリーズを想起してしまう。どこか「昭和の技術」に見えて仕方がない。


有用性の半面に途方もない厄介さも秘める原子力。それを人間は制御下に置く(アンダー・コントロール)ことができているのか。タイトルにはそんな問いかけを込めたのだろうか。3・11後の我々には重く響く。


 日本経済新聞編集委員 清水 真人



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