2011年10月06日 14:00 〜 15:30 宴会場(9階)
カルナカラ 国境なき医師団(MSF)インターナショナル会長 記者会見 国境なき医師団(MSF)インターナショナル会長

会見メモ

来日して岩手県と宮城県の被災地を訪問したウンニ・カルナカラ・国境なき医師団(MSF)インターナショナル会長が記者会見し、国境なき医師団の活動について語った。


カルナカラさんは、国境なき医師団が震災直後から宮城県宮古市田老地区と宮城県南三陸町で緊急医療活動を始め、5000人の患者治療、650人の心理ケアなどを行ったことを説明した。世界60カ国で2万7000人が活動を続けており、中でもソマリアなど世界各地の武力紛争地での医療支援について語った。また、世界中の市民からの寄付で収入が支えられていると述べ、製薬、武器、たばこ企業あるいは米国政府や紛争国政府から寄付は受け付けず、支出の80%は援助活動に振り向けていると財政状況を説明した。

一例として、インド洋大津波(2004年)の寄付金の扱いを振り返った。当時、1億3000万ドルの寄付が集まったが、国境なき医師団が行う津波被災地の医療サービスだけでは使いきれなかった。道路建設など復興・再建活動は行わないため、寄付をしてくれた人々に、返金するか、国境なき医師団のほかの援助プロジェクトに回してもいいかを聞いた。寄付者の信頼を得るため、寄付金の使い道を明確にする必要があるという。寄付する場合、組織の活動状況や寄付金が現地に届くか、寄付者本人が調べることが大事だ、とも述べた。


司会 日本記者クラブ企画委員 高畑昭男(産経新聞)


国境なき医師団日本(特定非営利活動法人)のウェブサイト

http://www.msf.or.jp/


会見リポート

人道主義で一つに結ばれる

北角 裕樹 (日本経済新聞アジア部)

「もっと早く来日したかったが、日本のチームが東日本大震災の支援で活動しているので邪魔したくなかった」。カルナカラ氏は開口一番、支援の現場にいるスタッフへの配慮の気持ちを口にした。


会見の前に訪れた岩手県宮古市の田老地区は「震災から7カ月たっても、津波の甚大な被害を思い知らされる光景だった」という。震災直後には、日本各地のボランティアの医師や看護師が手を挙げた。国境なき医師団の日本支部ができて20年がたち「日本には医師や看護師、臨床心理士など巨大なネットワークができていた」と解説する。現地入りしたスタッフはほとんどが日本人だ。


カルナカラ氏は「残念ながら、こういった危機は日本だけではない」とも指摘する。ソマリアなど「アフリカの角」と呼ばれる紛争地域を襲ったききんでは、武装勢力の妨害を受けて支援が進まないことへの怒りをあらわにした。「ソマリア以外にも、援助をする際に医師や患者が危険にさらされる懸念がアフガニスタンやリビアなどで増えている」と指摘する。このため組織の独立性と中立性が重要だと主張。製薬会社、兵器メーカー、紛争当事者らからの寄付は受け取らず、活動資金の90%以上が個人からだ。


震災にもかかわらず日本が国際貢献を続けると表明していることを高く評価。ただ、日本の政府開発援助(ODA)の2%程度しかないとされる公衆衛生関連の予算増額を求めたほか、ボランティアの医師らの活動の機会を増やすため短期の休暇を取りやすくすることを提案した。


丁寧で論理的な語り口の一方で、時折少年のような笑顔を浮かべる。国境なき医師団40年の歴史で初めてのインド人会長だ。80カ国のスタッフが働く大組織のリーダーだが「人道主義を信じることで1つに結ばれている。国境や国籍、宗教は関係がない」と断言した。


ゲスト / Guest

  • ウンニ・カルナカラ / Unni Karunakara

    国境なき医師団(MSF)インターナショナル会長 / International President, Medecins Sans Frontieres (MSF)

ページのTOPへ