2011年08月26日 17:30 〜 19:00 10階ホール
試写会「沈黙の春を生きて」

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会見リポート

過酷な現実をだましのない映像で

塩谷 喜雄 (日本経済新聞出身)

1962年にレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で発信した文明への警告を、合理的反論もないまま、結果的に世界は無視した。


米軍が「正義の戦争」でベトナムにばら撒いた枯葉剤は、40年を経ても自然と人間に重くのしかかる。米兵もまた枯葉剤を大量に浴び、その子にまで影響は及ぶ。


ベトナム帰還兵の娘ヘザーは、右脚部と手指の一部が欠損している。映画は彼女がベトナムを訪れ、枯葉剤の深刻な影響を背負って生まれたベトナムの子どもたちとその家族に会い、沈黙の春を共に生きていることを確認する旅を縦糸に、展開する。


彼らがこれから一生を共にし、苦闘しなければならないハンディキャップは、生やさしいものではない。坂田雅子監督は、それを正面から見据える。目をそらさない。配慮に名を借りただましや偽装を排した映像は、圧倒的な現実をゆるみなく伝えている。


苦闘を支えるのは家族と個のネットワークだ。米国政府はいまだ枯葉剤散布の責任を公的には認めていないし、生産者である化学会社、ダウケミカルとモンサントは、生体への影響すら認めていない。安全・便利をうたっていた組織と人は、安全神話が崩壊し具体的被害が出ても、責任を取るつもりはないらしい。


この構図は、3月に起きた福島第一原発の原子炉建屋4基連続爆発事故とうり二つである。予防原則と汚染者責任という、国際社会の新しい基本ルールを、再確認する必要がありそうだ。


ノンフィクション作家の佐野眞一さんは8月末に日本記者クラブで「言葉を失うような現実を見据えよ」と、メディアを叱咤した。枯葉剤のダメージも、震災の瓦礫も、眼前にすれば言葉を失う。すぐ言葉にできる易き道に流れるメディアに対して、映画は強い警告を発している。


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