2011年01月26日 15:00 〜 16:30 10階ホール
佐藤忠男 日本映画大学学長

会見メモ

2011年4月に開学する日本映画大学(川崎市麻生区)学長の映画評論家、佐藤忠男氏が日本映画大学のねらいや映画への思いを語った。≪「こういうことを私がいうとまずいが、撮影所は大学よりすばらしい学校だった」≫


佐藤さんは今村昌平監督が1975年に作った「横浜放送映画専門学院」が10年後に3年制の専門学校「日本映画学校」となり、今春、日本映画大学としてスタートする35年間の歴史を振り返った。今村監督は「既設のレールに乗せられる人生を拒否する若者よ、集まれ」と呼びかけ、そのアピールに心を動かされた若者が次々に加わった。映画作りを学んだ中には「十三人の刺客」の三池崇史監督、「悪人」の李相日監督、作家の阿部和重氏らがいる。映画の現場の専門家がカメラ、照明、録音、美術、編集を手とり足とり、実習講義で教える。「現場の技術を受け継ぐ意味で大きい成果をあげた。いま、日本の映画製作の2割ぐらいはここの卒業生だろう」という。

「溝口健二も小津安二郎も黒澤明も、1950年代までの巨匠は小卒か中卒だった。映画の現場は師匠と弟子、監督と助監督が競争し、対等に議論する」と述べ、映画の人材が撮影所で育った歴史を説明した。大学に生まれ変わっても「偏差値秀才を集める気持ちはない」「おもしろい若者が集まる場として世間に感じてもらえるか」「(メディアでとりあげられ)変わった学校を支持したい、という期待を感じた」と今村イズムを引き継ぐ決意を語った。世界各地の映画を見ている佐藤さんは「世界中に意外ないい映画がある。映画は世界の文化を統合する最前線だ。映画による世界の共通認識を作れるのではないか」と映画の可能性を熱心に語った。


司会 日本記者クラブ企画委員 川戸恵子(TBSテレビ)


日本映画大学のホームページ

http://www.eiga.ac.jp/index.php


会見リポート

エリート教育拒否の者来たれ!

松本侑壬子 (共同通信出身)

日本にようやく映画専門の単科大学が4月に開校する。1975年、どん底の映画界にあって、故今村昌平監督が照明、録音など現場の技術者の養成を目指す各種学校(横浜放送映画専門学院)を設立。その専門学校(日本映画学校)を経て35年の歴史を踏まえての大学昇格である。時代の流れと、現場主義に根差す実作教育の実績がある。

佐藤さんは「学校」3代目校長から「大学」の初代学長へ。昨秋大学設置認可が下りてから約2カ月で応募者が前年の2倍に増えた。マスコミの反応にも「面白い人間が集まる少し変わった学校を支持しようとの暗黙の期待」を感じる、という。

学院開校以来「受験コースから外れた者来たれ!」「エリート教育を拒否する者はウチに来い」と叫び続けた今村監督。その反骨の精神は、監督の李相日、三池崇史、川口浩史、脚本の鄭義信、撮影の山本英夫、タレントのウッチャン、ナンチャンら今や日本の若手映画人の“顔”となった卒業生らに引き継がれた。

振り返れば、日本映画史上最高の溝口健二、黒澤明、小津安二郎の3人の監督は、いずれも大学を出ていない。続く新藤兼人、稲垣浩、内田吐夢、市川崑、木下恵介ら全盛期の巨匠も。そもそも映画をつくるのに学歴は必要なのか。従来の今村流スローガンと矛盾しないか。「私の立場上、本当はまずいんだけどね」

だが、映画で人の心を動かすのに、教養がなくてどうする。かつて、撮影所は大学よりも素晴らしい学校だった。映画作りが最高の人間教育の場だった。それに代わるのが現代の映画大学、と佐藤さんは位置づける。

自身は新潟の定時制工業高校卒。働きながら映画雑誌への投稿で独学し、映画評論で日本の第一人者に。

「学校秀才でない者の中から、本当に優秀な面白い若者を発見するのが私の役目」と胸を張る。教育界、映画界双方から、期待も課題も大きい。

ゲスト / Guest

  • 佐藤忠男 / Tadao SATO

    日本 / Japan

    日本映画大学学長 / President, Japan Institute of the Moving Image

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