2010年09月17日 00:00 〜 00:00
レスター・テニー・「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」元会長

会見メモ


元捕虜の方々 (左から順に)
Earl Martin Szwabo氏
Jackfert Edward氏
Lester Tenney氏
Joseph Alexander氏
Donald L. Versaw氏
Robert D. Rosendahl氏

第二次大戦中の「バターン死の行進」の元米兵戦争捕虜組織「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」会長だったレスター・テニー­さんら元戦争捕虜6人が記者会見した。藤崎一郎駐米大使が昨年、同会の会議で謝罪し、日本外務省が元捕虜や家族を日本に招いた。

6人の元戦争捕虜は日本軍の捕虜となり日本の企業で働かされた経験、さらに今回の日本訪問の意義を語った。テニー氏らは、①米兵­捕虜の扱いに対する日本政府の謝罪②日本政府が米兵捕虜をこれまで日本に招待していなかったこと――の2点について、今回、よう­やく実現したと説明し、③捕虜を強制労働に使った日本企業の謝罪――について「いまだに謝罪がない」と改めて謝罪を求めた。日本­の新幹線の米国への売り込みに関連して、捕虜に謝罪していない日本企業が新幹線売り込みにかかわっているとして、謝罪がなければ­新幹線に反対する立場を表明した。「日本人が歴史の汚点を払しょくし、この問題に終止符を打つために、われわれも協力したい」と­語った。

司会 日本記者クラブ企画委員 会田弘継(共同通信)

外務省のプレスリリース「米国人元戦争捕虜招聘」(外務省ホームページ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/9/0913_05.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/9/0909_04.html

会見リポート

後世に引き継ぎ「平和の行進」に

田上 幹夫 (朝日新聞出身)

米国の老いた元兵士の一群は杖や車いすを頼りに会場に現れた。太平洋戦争初期の捕虜虐待事件「バターン死の行進」の生き残りとして、怒りの体験を静かに語り始めた。

フィリピン・ルソン島のバターン半島で旧日本軍に投降。100㌔近くの難路を歩かされ、死者は米兵だけで2000人を超えた。連合国は日本の蛮行と喧伝し、「死の行進」は戦史に名を留めることになる。

日本各地で3年余り不当な労働を強いられた生き残り組は戦後、日本側の非をとなえ続けた。今回初めて岡田外相の謝罪を引き出し、これで一区切りとみられたが、実は違った。

日本人との家族ぐるみの交流があるリーダーのL・テニー氏。一行の訪日を伝える新聞の束を手に笑顔も見せた。それが次第に顔をこわばらせ、「戦時中、私の血を吸って太った企業はいまだに謝らない。そんな組織が加わる新幹線の米国輸出を阻止する」と言った。別の元米兵は弾劾企業のリストを振りかざした。

最後の訴えには哀切な響きさえあったのだが、それにしても糾弾に明け暮れた感のある彼らの人生とは。

「皆さんは虐待問題に警鐘を鳴らした。それでもなお戦時の虐待は絶えない。どう思うか」。私はあえて尋ねてみた。やや沈黙があり、「我々の活動はエモーショナルなものだから……」との答えが返ってきた。

会は昨年解散し、今後、「死の行進」の糾弾は会見に同席した子どもたちに引き継がれるという。世代交代はよい機会だ。被害者感情を乗り越え、戦争阻止を視野に入れた「平和の行進」にカジを切るよう願ってやまない。

ゲスト / Guest

  • レスター・テニー / Lester Tenney

    アメリカ / USA

    「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」元会長ら6人 / Ph.D. and ex-POW members of American Defenders of Bataan and Corregidor

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