2010年06月08日 00:00 〜 00:00
小坂文乃・日比谷松本楼常務取締役

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会見リポート

孫文と辛亥革命を支えた日本人

阪口 昭 (元日本経済新聞論説主幹)

これは曾孫が曾祖父を語った珍しい本である。曾祖父の名は梅屋庄吉。(1868─1934)。彼は辛亥革命(1911)を遂行した孫文と一番親しく交流した日本の実業家。庄吉は孫文の人物と思想に惚れ込み、物心両面で強力に支援した。しかし、著者の小坂さんは「曾祖父は援助をしたのではない」と言う。「孫文と一緒に革命に参加したのです」と。なるほど、著書名の「革命をプロデュースした」の含意はこれなのだ。

小坂さんは、幼少時から日常会話で曾祖父のことを聞いて育ち、長じて家に積まれた資料(中に「一切口外シテハナラズ」の文書もあった)を精読し、考察を重ねてきた、その曾孫のこれは結語でもあろう。梅屋庄吉はどんな人物だったか。ひとつはっきり言えることがある。彼はロマンティストだったが、反面、徹底したリアリストでもあった、と。

孫文の思想に共鳴し、ともに革命の夢を抱いたのが前者。革命には膨大な組織と資金づくりが肝要と考え、その具体化に走り続けたのが後者である。金づくりに関して、庄吉は天与とも言える経営の才覚にめぐまれていたようである。彼は近代企業の経営者が持つべき革新性というものを熟知し、自信満々だったに違いない。

だからこそ27歳のとき、孫文に会って「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」との盟約を交わし得たのだろう。庄吉は才腕を振るい、特に日本に映画産業が起きるやただちに参入、大成功を収めた。が、それによって得た莫大な個人的利益の大部分は孫文の革命に注がれた。

民主化を志した革命を、国境を分けた一民間人が私財を投じてプロデュースするという、世界の革命史上でも稀なこの物語の史的検証を深めようと、いま小坂さんは奔走している。8月、上海万博で「孫文と梅屋庄吉展」が開かれるのに続いて、辛亥革命百周年にあたる来年、北京と武漢で研究・展示会を開く予定と聞いた。成功を祈りたい。


ゲスト / Guest

  • 小坂文乃 / Ayano KOSAKA

    日本 / Japan

    日比谷松本楼常務取締役 / Managing director of Hibiya [matsumotorou]

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