2009年03月09日 00:00 〜 00:00
益川敏英・ノーベル物理学賞受賞者・京都産業大学教授

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会見リポート

ユーモアと気骨さと

高橋真理子 (朝日新聞科学エディター)

ノーベル賞受賞を「嬉しくない」と言い切った偏屈ぶりは、この日はなりを潜めていた。聴衆をおもんばかってだろう、物理の話はほとんどなし。生い立ちをたっぷり語った。

敗戦は5歳のとき。戦争中のことは「記憶のかけらもない」そうだが、スチール写真が3枚残っているという。1枚は「親父が勤労動員されて高射砲の弾を運んでいるところ」。もう1枚は、名古屋大空襲のとき自宅の2階屋根を突き破って1階に落ちた不発弾。向こう3軒両隣は焼けたのに、益川家だけ無事だった。「そのときは怖くなかった。後で、あのときの焼夷弾が不発弾じゃなかったらとゾッとすることがあった」。もう1枚が「その後、家財道具をリヤカーに乗せ、その上に僕がチョコンと乗っている」写真。

小中学校時代は「ほとんど勉強しませんでした」。家業の砂糖問屋の手伝いで、ザラメが100キロ入った麻袋を担いだ。だから、懸垂の回数はクラスで一番、高校の時は片手懸垂もできた。

1955年に「名大の坂田昌一博士が画期的理論を作る」というニュースを知って科学に憧れたというのは有名な話。跡を継ぐよう迫った父親の反対を振り切り、一度だけの約束で名大を受験、見事に合格する。

大学では、「ちょっと背伸びをして」友人たちと議論に明け暮れた。大学院に入り、いっとき脳の研究に惹かれたが、結局、坂田研究室に。

当時、素粒子論は混沌の時代。「世界中の大御所が新理論を追求した。我が国で湯川さんがやらないわけがない。湯川さんは素領域とか何とか言ったけど、これは間違っていた」。

最後にさらりと湯川秀樹博士の間違いに触れ、「大御所何するものぞ」という気骨を見せた。先輩にも容赦ないのが物理学者なのだ。

ゲスト / Guest

  • 益川敏英 / Toshihide Masukawa

    日本 / Japan

    ノーベル物理学賞受賞者・京都産業大学教授 / Winner of Nobel prize in physics(2008) Professor , Kyoto Sangyo University

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