2006年03月24日 00:00 〜 00:00
渡部恒三・民主党国対委員長

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会見リポート

“恒三節”が残したもの

後藤 謙次 (共同通信論説副委員長)

失礼ながら渡部恒三氏が日本記者クラブの記者会見に登場するとは夢にも思わなかった。「恒三節」を聞いたのは十数年ぶりだろうか。故竹下登元首相は「恒三は演説で銭が取れる数少ない政治家の一人」と言っていたことを思い出す。のどかな会津弁と独特の間合いが聴き手の心を引きつけ、和ませる。会見場がしばしば笑いに包まれたことがそれを証明していた。「恒三節は健在」の印象だった。

しかしかつての「恒三節」とは格段に重みが違っていた。「永田メール」問題で迷走を続け、前原誠司代表(当時)が求心力を失う中で民主党の救世主として登場した渡部氏は事実上の「代表」とみられていたからだ。

「菅、鳩山はおれの弟、前原や野田や枝野や玄葉は息子だと言ったが、この息子や弟たちがお国のために堂々と働くようにできるようにしてあげるのが後見人の立場だ」

その上で渡部氏はメール問題の渦中にあった永田寿康氏について「侍なら名を惜しめ」と議員辞職を強く促した。一連の発言をつなぎ合わせると、渡部氏の頭の中には「自らの手による民主党の再建」という構想があったことを窺わせた。しかし永田氏の自発的辞職は不発に終わり、前原代表の辞任という劇的展開で民主党は再建を目指すことになった。渡部氏にとって目算違いだったかもしれない。

ただ73歳の渡部氏の国対委員長就任は政界に「若さより経験」という言葉をよみがえらせた。51歳の安倍晋三官房長官を軸に進み始めた自民党のポスト小泉レースにも波紋を投げかけている。渡部氏の明るいキャラクターも相まって「恒三節」が与えた影響は小さくない。

ゲスト / Guest

  • 渡部恒三 / Kouzou Watanabe

    民主党国対委員長 / Chair, DPJ Diet Affairs Committee

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